3日前に投稿
今まで毎日のように日本の特異体質について考え、如何にしたらそれをあまねく人に伝えられるかなんて手をこまねいていて、半ば諦め状態でもう笑って誤魔化すっきゃないって「笑いが地球を救う」なんて標語を作っていた矢先に今回の東日本大地震が起きてしまった。
聞くところに拠れば想定外だったと言うのは嘘で明治にもっと大きな津波の被害を受けていたらしい。
日本は既に観念的に行き詰っているのだと思う、つまり和魂洋才の弊害、いわゆるCPUとOSの相性が悪いので、近代文明への対応が今ひとつしっくり行かないのだ。
今回の津波で引き起こされた原発の事故は人災とも言える位に全ての点において対応の甘さが見える、これは基本的な姿勢に問題があるとしか言いようが無い。
特に放射能は目に見えない敵と表現されるように不可視のものであり、即物的な日本人が取り扱うのに無理があるのではないのか、ここに象徴されるのである。これが池田元久経済産業副大臣の「神のみぞ知る」発言に繋がるのではないのか、聖俗未分離状態の日本の一か八か、all or noneの思考回路で原発を扱うのは危険すぎる程、原発は神の分野なのである。
原子力は人類の叡智であるかも知れないが、日本人の叡智で無い事だけは確かである。
あれだけ、広島に続く、長崎の原爆投下で、嫌と言うほど原子力の恐ろしさは知っている筈の日本人がどうしてここまで考えが甘いのかが理解出来ない。
各国から協力の申し出があってもむげに断ったり、IAEAが避難基準を下回ったと避難勧告を無視し、日本の基準値はもっと精巧だとか言い訳ばかりで逃げるばかり、国民軽視の政策がいまだに取られている。
大体IAEAの事務局長はエルバラダイ氏の後任は日本人の天野氏ではないか、同朋の勧告すら無視する傲慢さは一体どこから出てくるのか。
ひどいところでは、各国から原発対応のロボットの提供があったにもかかわらず、それを扱える人間すらいないと言う、つまりいわゆる原発奴隷を使い捨てした方が費用がかからないと言う、言わば第二次世界大戦における人間魚雷の発想なのである。
そんな事を考えている時に僕が日本の特異体質の追究を止めるきっかけになった、東大名誉教授の渡辺正雄先生の事を書いた、黄ばんだ朝日新聞のテーブルトークと言うコラムの切り抜きを、旧いシステムオーガナイザー(バインデックス)の中に発見した。するとその中にこんなような記載があるではないか、
「日米開戦の1941年に東大工学部を繰り上げ卒業。海軍の記述か士官を経て、敗戦時には東大第二工学部で応用力学を教える助教授だった。が、47年、その職を辞し、科学史の研究を志す。『日本の科学のあり方への疑問が大きくなってきたんです。戦争に奉仕し、人命もろとも戦艦に体当たりする特攻機を生み出すような、日本の科学とは何だったのか。明治以来、西洋からの科学の受容の仕方に問題があったのではないか、と』」
今回の他国がこぞって原発用ロボットを開発している時に、東電は非人道的な原発奴隷の使い捨てをやっていたのだ、日本にとってロボット産業はいわゆる精密機械の分野で生き残りを図る為の重要な産業だと言うにも拘わらずだ。
3日前に投稿

愛は救わない。

hainooto03:

仕事で会議用の資料ばかりを作成していると、自分のなかでまだ生きるはずだった細胞が少しずつ死んでゆく気がする。

ある事物に対してだれもが納得できるような理由などないことが多い。

幽体離脱したいだとかコピーロボットがほしいだとかおもいながら帰宅して、脳味噌と心をリセットするためにすきな本を少しずつ読んでから眠る。
死んだ細胞は戻らないけれど、たいていの失くしものは戻りはしないので、しかたがない。


3日前に投稿

Pink Floyd - See Emily Play

(出典: youtube.com)

1週間前に投稿
ぼんくらとは盆暗と書く賭博用語で、盆の中のサイコロを見通す能力に暗く、負けてばかりいる人のことをいった。ここから、ぼんやりして物事がわかっていないさま、間が抜けたさま、更にそういった人を罵る言葉として使われる。
これとは別に「がんばれ」という意味で使われることがある。これはフランス語の“Bon courage(ボン・クラージュ)”からきたものだが、この意味での使用はごく稀で、先述のぼんくらに励ます意を含めた掛詞的(※)に使う程度である。
1週間前に投稿

いかれぽんちとは、軽薄で頭が悪い間抜けな男性のこと。

1週間前に投稿

XTC - Summer’s Cauldron / Grass

(出典: youtube.com)

1週間前に投稿
NYに居ると、たくさんの他国語に遭遇します。私の祖母は、ちいさな子供の蒙古はんのついたお尻を「ブンブンちゃん」と呼んでいました。ブンブンとは、ポルトガル語で、お尻の事。
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私は中学3年生の熊本っ子です。今は父の仕事関係で千葉にいます。実は去年の冬、同級生が熱心に裏紙に書いているのを見てなーんばしよっとだろか。っち思いよったんです。そしたら、ドアにその紙を貼り付けたんです。書いてあった言葉が
しめてね!”とかいてあってわけがわかりませんでした。
こん人シメられたいつかあ?ひょっとして・・・こらマゾばい!こわっ!と思いました。
次の休み時間にトイレに行きたいなーと思って、癖でドアを開けっ放しで出て行ったんです。そしたらそのマゾに
「ちょっと、ここに私が“しめてね!”ってかいたでしょ!」
と言われ、私は
「しめるって・・・何を?」と聞くと
「だーかーらー。ドア閉めろ!」
「ドア閉めるって・・・・・・ああ、“あとぜき”ね!」
こっちの人間ってふっつーにドア閉めろって言うとかー。と思いました。
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熊本弁で英語に似ていると言われるのが「行く」を「来る」と言うことです。共通語で「そちらに行く」を熊本弁では「そっちゃん来る」です。
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