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飲食店で、死者をひとりでもだしたなら、即営業停止である。
いや食中毒でもそうなる。
だが、学校で子どもが死亡しても、営業停止にならない。不思議なことだ。

病院で、誤診・誤治療で人が死んでも、営業停止にならない。担当医の資格はくだつにもならない、ある種の医療処分ですませられる。

産業サービス制度の世界では、当事者処理によって、制度機関が守られ保持される。
その理由は、他に生徒たちが居る、患者たちがいる、そこが困らない様にということからなされる。
自分たちで自分たちの制度を守ることが優先され、個人の存在は排除的に処置される、逸脱をうみだす「社会する」仕組みの典型が、制度変形されている。
より多くの人の利になっていることがあるから、その機能停止をするわけにはいかないのだ、とされる。
子どもの自殺は、正常行動の学校生活の日々にとっての逸脱・異常者の行為であると処理され、自殺した子どもの異常さが報告されていくのが、いままでだ。家族はむしろ責められる。
完全な転倒が起きている。
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間違ったことを教えられると
それを打ち消すためには
学んだ時間とエネルギーの
少なくとも3倍以上かかることは
科学的な実験から証明された。

学校は今や
<学ばない自由>を教えない危険な場所だ。

<学ぶ自由>だけが生き残ったのは
教育システムが
<権威からの離脱と服従への拒否>
を自ら排除してきた結果だ。

人類の数百万年間にわたる
無知と好奇心、そして飢えが
学習システムを形成したのだが
<学ぶ自由>と<学ばない自由>
は教育システムから完全に分離された。

<学ぶ自由>と<学ばない自由>は
機敏な生得的なメカニズムから生まれる。

相補的な2つの自由は
学校に行く前から獲得されているからこそ
こどもにとって学校は
もっとも危険な場所なのだ。

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carpr0n:

Literal

Starring: Renault Wind

(by jens.lilienthal)

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suikatou:

norikome:

土器と土偶と埴輪のガチャガチャ/青森県立美術館

旅中のドキドキ。今回は3回やった。

いいなーこれ

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そういえば、このあいだ久しぶりに日本のテレビ番組をすこし (あちこち計2時間ぐらい) 見て、その「日本っぽさ」にすっかり 毒をあてられてしまった。まさにあれこそ日本の文化だと思う。 そこでは安っぽい感動のための演出が奨励され、 ヒトは他人の生活をひたすら気にするよう要求され、 そして、とにかく誰に対しても波風立てないことを脅迫される。 さもないと、あしたからクラスのみんなにシカトされるよ。 この傾向はNHKでも民放でも変わらない。 “ニッポン人”はテレビによって作られる。 テレビこそ日本を作る装置だ。テレビを見ていて、実際には映っていないはずの 「(笑)」の文字が自然に画面の中に見えてくるようになったら、 あなたも立派なニッポン人だ。あれを見ているかぎり、 人生は永久に憂鬱な、どーしようもないものと思わざるを得ない。 逆にテレビさえ見なければ日本的な脅迫観念からは ある程度は距離をおいていられる。といっても、日本のテレビは 「テレビ教から脱会すると世の中に取り残されて不幸になるぞ~」という カルト宗教なみの洗脳を 日々やっているから、いったんアレにはまった人は抜けるの大変だろうね。 もっとも今じゃネットにもだいぶ テレビ的な役割が移行されつつあるから、テレビのかわりに ツウちゃんねるを見ても同じことだけど。 ある意味で、日本の情報統制は、ネットの検閲なんかやってる 中国よりもずっと高級だと思う。つまり 「外の情報が入ってこないように壁をつくる」のではなくて、 「内側からの情報をひたすら欲しがるように縛りつけておく」のだ。
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東北のある地方の隠れキリシタンの里が物語の舞台。「はなれ」と呼ばれる集落には、独自の創世記が伝わっている。それによると、太古、人間は楽園で暮らしていたが、禁断の果実を食べた咎で「でうす」の怒りを買い、楽園を追われたという。このうち「あだん」と「えわ」の夫婦は知恵の木の実を食べたが、もう一人の人物「じゅすへる」は生命の木の実を食べたという。このため「じゅすへる」とその子孫は神と同様に不死身となり、この事を憂えた神は「いんへるの」を開き、「じゅすへる」の子孫は生まれてから一定後に「いんへるの」に落され、「きりんと」が来る日まで尽きぬ苦しみを味わうのだという。

若き考古学者である主人公は、そんな「はなれ」の里を地元のカトリック教会の神父と共に訪れようとしていた。神父の話では、この里も江戸時代切支丹弾圧の嵐を受けたが、不思議なことに一人の殉教者も出ていないとのことだった。さて一同が村に着くと、何故か人の気配がない。一人だけ残っていた老人・重太に尋ねると、「いんへるの、いっただ……」と答えるばかりで要領を得ない。不思議がる主人公や神父の前に、妖怪ハンターこと稗田礼二郎が現れる。

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